Aimable エマーブル こころ館

からだとこころの癒しサロン エマーブル 

希死念慮の根っこにあるもの

先日、堀田真紀子さんのシェアクラス後のメールのやりとりで、私が過去ずっと希死念慮を抱えてきたことへの堀田さんからのメッセージが、本当にそのとおりだと感じたので(ご本人の許可をいただいて)紹介します。

 

「この世界のどこにも、本当の意味で、出口がない。
でも、ごまかさないで、本当の出口を探したい。
そんな気持ちから、潜在的な自殺衝動のようなものずっと抱えていた人、コース学習者の中にはよくいますね。

投影でできている世界の本質を見抜く力があってのことで、とてもいい、学習の素地になります。」

 

希死念慮や自殺願望というものは、この社会ではあまりにタブーにされがちだと思う。

その根底には、身体こそすべてといった物質主義的な価値観がある。

 

だけど、幸せという観点からすれば、そんな価値観を満たすためのやり方は、常に矛盾だらけだ。

心より身体の安心を追求しようとするとき、私たちはどうやったって互いを比較、判断し、奪い合い、恐れているし、何より心の奥底で防御し攻撃していて、そうしていることへの罪悪感を無意識に抑圧している。

そして、何をいくら手に入れたようにみえたところで、最終的に待っているのは、喪失とこの身体の終わり=死しかない。

 

生きる意味がわからないというと、多くのセラピーや心理療法では、あくまでそんな自我的な価値観に沿ったかたちで、その意味をみつけようとする。

もっと素晴らしい自分になれば、とか何かを手に入れれば、あるいは思考のパターンをポジティブを変えればといったように。

だけど、鎧をいくら立派にしたところで、根っこにある疑問はぬぐえない。

 

そして、それは苦しみや葛藤を抱える心、そのものの否定に繋がる。

今考えると、私は物理的な何かを満たしたかったのではなくて、ただ、答え=本当の出口をみつけたかったのだと思う。

何故、苦しむ人がこんなにたくさんいるのか、傷つけ合わなければ、憎み合わなければならないのか、そしてそんなふうに痛みや弱さを感じる敏感さを、いつだって抑圧しなければ生きられないのか。

 

今になってみると、真紀子さんがおっしゃるように、自我優位であるこの世界に、苦しみや絶望を感じる人ほど、きっと本質に気づく力があるのだと私も思う。

だけど、この世界(投影)の犠牲者になっているうちは、自我のやり方にはまり、その苦しみが訴えている真の本質、幸せとはどんどん真逆の方向へいってしまう。

 

もし神さまがいるなら、こんな世界はつくらなかった。

消えたくなるほどの苦しみって、そんな問いかけでもあるのかもしれないと思う。

 

そして、心はその出口を憶えているからこそ求めているし、苦しんでいる。

だから、希死念慮も痛みも弱さもふくめ、感じるすべてはかけがえのないヒントなのだと思う。

苦しみとはきっと、この身体を超えた潜在的な記憶の呼びかけであり、その出口は、外側ではなく、私たちの心の中にある。