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ほんとうの自分とは

最近、俳優の渡部篤郎さんが好きすぎて、過去の作品を遡っていくつか観ていたのだけど、その中のひとつ「100年の物語」というドラマがとても感動的だった。

 

(ここからは、完全にネタバレの内容なので、これから観たい方はページを閉じてくださいませ。)

渡部さんが演じる進次は、元ボクサーなのだけど、もともと勉強ができず、周りから出来が悪いと言われ、自信もなく、だけどボクシングに出会って才能を発揮したことで、やっと周りに顔向けできるような自分になれたと思った。でもその矢先、足を刺されて障害が残り、リングに立てなくなってしまう。

 

そのとき、彼には妊娠中の婚約者がいたのだけど、彼女は新しい恋人をつくり、彼の元から去ってしまう。

お腹の中の子どもの命まで奪われたと知った進次はカッとなって相手の男性を暴行し、一生残るだろう障害を負わせてしまう。そして、刑務所に入り仮出所したところで、松嶋菜々子さん演じる千代と出会う。

 

進次は、神さまはきっと自分にこう伝えたかったのだろうと話す。

「一生罪を償い、もう二度と誰かを愛したりなどしないように。自分は誰かを幸せにすることなどできないのだから。」

 

だけど、彼の不器用すぎるほどのまっすぐさと優しさに、徐々に惹かれていった千代は、彼にこう伝える。

「神さまはきっとこう言いたかったのよ。ボクサーは優しすぎてボクサーに向いてなかったの。足を怪我したことだって、本当の自分をみつけて、早く希望を取り戻しなさいって。ボクサーの愛が必要な人はきっといる。あなたにしか幸せにできない人も必ずいる。」

 

多分、たくさんの人が、何者かになろうとしながら生きているんだと思う。

だけど「ほんとうの自分」とは何だろう。

私たちは、進次が抱えてきた自己評価のように、親や周りから受けた扱いとか評価、他者とのコミュニケーションの際に生じる思考を、自己だと思いこんでいる。

でも、意識のしくみを知っていくと、それもまた、心の結果なのだとわかる。

まず、何らかの自己認識(信念)があり、その信念の証明のために、世界にその結果を投影している。

 

すべてのネガティブな自己評価は、守るために生まれる。傷つくことから、身体の命の危険から、そして何より、愛(全体、おおもと)から遠ざかっていたいがゆえの防御策なのだと思う。

 

心に傷を負ったとき、私たちには二つの選択がいつもさしだされている。

自我の声を聞くなら、もう二度と傷つかないよう防衛し、攻撃し、ネガティブな、あるいはより優れた偽りの自己評価で、「私」をどんどんと縮こませていく。

守るべき私には、傷はずっと消えずにあり続ける。

 

だけど、真我の声を聞くなら、千代の言うように、傷こそがほんとうの自己を知るためのツールとなる。傷つくことを超えた自己をみつけるとき、傷は最初から無かったことがわかる。

わたしとは、傷つく個ではなくて、大きな全体の必要不可欠な一部なのだと。

 

最後に非二元論のスピーカーである阿部敏郎さんのブログの中の、大好きな一文を紹介させてください。

たとえ人が人里離れた山奥で、たった一人で自給自足して生きていたとしても、その人の存在は宇宙全体に大きな影響を与えています。

その人がいなければ全体は存在できないといってもいいでしょう。

 

全体を大きな風船に例えるなら、そこにほんの少しの欠損が生じて穴ができてしまったら、時間の問題でその風船は存在できません。

僕がいなければ、そしてあなたがいなければ、この宇宙は存在できないのです。


僕たちは幼少のころから、人様の役に立つこと、社会から必要とされる人間になることを叩き込まれてきました。

でも実際には、寝たきりになって人の世話になるだけだとしても、その価値は他の人と同じように計り知れないものがあります。


社会主義国は人間を物として見るので「働かざる者、食うべからず」などといったスローガンが生まれますが、人間は物質ではなく霊性によって生かされている霊的存在なのです。