Aimable エマーブル こころ館

からだとこころの癒しサロン エマーブル 

感情の補償

感情に寄り添う、というとよくわからないという人が多い。それだけ私たちは普段、感情をありのままに受け入れたり、その深くを覗き込むことを避けているのだと思う。

そして、その代わりに、行動によってそれを補償しようとする。

例えば、さみしさを食べ物やモノで満たそうとしたり、怒りや恐れを自分の外側、他者の言動を変えさせることで、それを感じることから逃れようとする。

 

私は元アダルトチルドレンで、過去には不足感や欠乏感がとても強かったと思う。思う、というのはそれを自覚していなかったから。当時は、わきあがるそれらに、無意識に突き動かされていた。

常に付き纏ってくる、空虚な感覚を埋めなければ、という衝動に駆られ、何かに依存することを止められなかった。

当時は、自分が一体どうしてそんなことをしているのか分からなかったけれど、そうやって足りない何かを満たすことで、私という存在を受容されたかったのだと今はわかる。

 

そして、私ほどではないにしても、私たちは誰でも、そんな無意識に動かされている。

潜在意識は、私たちの思考や感情の90%以上にも影響していると言われているが、意識的に覗き込もうとしない限り、気づくこともないそんな無意識層からの訴えの数々に、身体は振り回されている。

 

このコロナ禍では、恐れからのそんな補償行為が浮き彫りになった気がする。

初期の頃には、マスクの買い占めや、我先にとワクチンに飛びついたり、恐れを感じさせる他者を攻撃したり、何だか、全体が互いを見張り合い、ずっとピリピリしてきた。

恐れが強いとき、人は攻撃的になる。何故なら、外側(対象)を変えることでその感情から逃れようとするから。だけど、感情は内側からしか生まれない。そして、逃れたいと足掻くとき、その感情と、対象への恐れはどんどん力を増していく。

 

補償行為(=外側、何かにより補う、変えること)によって逃れようとするのでなく、それをあるがままにさせておくことができたら、ネガティブな感情はすべて、ただ愛や安心を求めているだけとわかる。

それを満たすことができるのは、受容(愛)だけで、いらないものと排除するための補償行為は、逆効果にしかならない。

そして、この不安定で流動し続ける物質世界において、安心を形の中に得ることは、絶対にできない。

 

感情の奥深くに、この身体の学習(潜在意識)を超えた、根源的な記憶があり、この自我優先の世界で必然的に生まれるネガティブな感情ほど、その記憶を確かなものにしてくれる。受容は、その根源から与えられている。

 

私たちは、できごとを体験しているように見えて、本当は自分の内側にあるものを体験しているんだとつくづく思う。

外側のできごとは、いつも、自己の内側を映し出してくれる鏡でしかない。